何を基準にカメラを選ぶかのか

©Sho Niiro

 

 

ここ最近の新製品には全くついていけていない。自分の使っているキヤノンならともかく、ニコンともなるとD810だのと言われてもなんだかピンと来ない。観光地はカメラの博物館。築地市場で外国人のカメラを見ているとやはり5DMark3がダントツに多く、仰々しいLレンズを付けて面白みもない。一番渋いなと思ったのは、モデル体型の大柄の女性が、D3にマニュアルのニッコール28mmを付けて颯爽と撮影していたのを見た時である。あれはまこと、クールだ。「お主、分かっているな」と思わせる何かがある。

 

かく言う私はずっとペンタックス645D、発売年が新しいカメラといえばDP1Merillなのだけど、これもクワトロとかいうピザみたいな名前のカメラのせいでとっくに古参だ。他にメインなのがR-D1sというわけだから、もう最新機種の情報を調べようにも浦島太郎なのである。やはりデジタルはレンズによる所が多いので、そこだけはチェックするがそれでもついていくのがやっとである。

 

ともあれ、自分が欲しい絵を出してくれるか否かが問題なのであって、いくら高感度が優れようと自分が多用する部分が少しでも削がれれば問題外となる。

 

別段新しいカメラを買うことに苦言を呈しているのではない。そこに自分のニーズが明確になっているのかと問うのだ。その表現にそのカメラが必要なら何も言うことはない。「自分はモニタで見て高解像度のカメラが欲しいのだ!」と言い切れればそれもいい。ただ、自分も含めどこかに「言い訳」のようなものが含まれている事が多々ある。化石のような初代1Dですらかなり優れた絵を出してくれるのに。

 

今度の写真集では、後ろに撮影年月日から使用カメラを記した。これはある種、記録だと思うと何のカメラで撮影したかということも1つの記録になり得るかもしれないと思ったからだ。初代1Dから色々と。

 

結果的には機材に優柔不断な自分の性格が反映される結果になってしまったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に出た自分の使っているようなカメラは海外ではまだまだ現役のことが多い様に思える。しかしてカメラの話題は尽きないのに、プリンタやペーパーについて多分に議論されることが写真界隈を覗いて稀だということがこの国でのデジタルカメラがどこに位置づけられているかということを如実に物語っている。カメラがどんどんと存在意義を失いつつあることは表現の発展という点で良いことなのだろう。

 

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