Picture of the day
2016.06.27 Monday
山谷は変わったともちろん僕も言う。それは良い意味でもあるが、以前厳しい現状が続いていることも事実だ。季節かわらず朝の早い街ではあるが、この時期になると会話の内容に越冬の文字が聞こえてくる。年末元旦にかけて宿を見つけていない人にとっては命にかかわる問題である。山谷を歩いていると、越冬や炊き出しの情報交換が聞こえてくる。
「俺今年は越冬できなくて死んでしまうかもしれねえ。お前その時は酒でもかけてくれや」
「なーに言ってんだ。頭ぼけたんでねえのか?○○荘の脇で越冬相談やってるらしいぞ」
「そうか。そこは女も紹介してくれんのか?ははは・・・」
「自分の命よりも女か。おめえは死なねえよ」
冗談まじりの会話の中に、必死に生き抜こうとする意志を感じることもある。なにも東京23区内でと思うかもしれないが、山谷に生きる人の多くは特定のエリアから外に出ることに何らかの抵抗を感じる人も少なくない。それは、自分たちがはじかれた者である、という認識を持っている場合に多い。つまり、外の世界には行けないのだ。
と、山谷の帳場でパソコンをたたいているわけだが、今目の前にヨーグルトやら卵やらが置いてある。うちの宿に20年近く滞在しているIさんがいるのだが、ここの所入退院を繰り返している。二年ほど前からそんな様子で、いつも一週間くらいすると少し元気になって帰ってくる。しかし今回ばかりはどうにも様子が違う。医者の話だと、確実に戻ってこれるとは分からないそうなのだ。
随分と気落ちしてしまい、もう駄目だ、と何度も会うたびに言う。今朝は入院に行く日。
「1km先の病院だって、家族がいりゃいいけど、俺なんて一人だから死んだら誰も泣きゃしねえ。これ、腐っちゃもったいないから食べてくれや」
Iさんは出掛けて行った。戻ってくるのだろうか。
今回ばかりは戻ってこない気もする。
戻ってくる事が良いことなのかは僕には分からないが。