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隆起するアートの存在、作家の主体性

 

作家の主体性というものは時代とともにどう変化しているのだろうか。具体的な話はもっと詳しい人に任せるとしていつも通りの無責任な文。写真の業種によってはカメラマンの主体性を消す事に意義がある場合もあるが、作品として今の時代主体性、自分らしさをどう出せるかどうかは非常に重要なポイントであることは間違いない。いい写真であるが、どこそこで見た事あるようなというのでは意味がないのである。そこにオリジナルへの価値が見いだされるのである。決してエポックなものが良いという訳ではない、時代性に基づいた相対性なのだろう。

 

情報過多な時代始めからオリジナルに到達するのはやや困難であろう。先人の模倣をしそこから新たな道を切り開く。オリジナルに近づく為の模倣は必要だが、模倣すること自体がメーンになってしまう例を時に見る。その事に一番気がついているのはその作家本人であったりするのだが、おそらくその時は既に負のスパイラルに巻き込まれてどうする事も出来ない状態なのだろう。

 

時代と共にどう移り変わったかということについて思うのは、おそらくセルフプロデュースメントの才能がより必要になってきていることだと思う。それに関しては写真作家が皆色々と考えていらっしゃるとは思うが、やはりそれが上手い人は抜きん出る。大きくみれば日本がのんびりとし過ぎていたのかもしれない。

なぜなぜWhy〜なそのショット。

 

撮影したものを数ヶ月おきに最初から見直す作業をルーティンにしている。デジタルにスイッチしたのが10Dの頃だから2004年くらいからのを2週間くらいで全部見る。HDDにして10個分ほど。

 

その中からセレクトしていると、なぜこのカットを撮影したのか首をかしげるしかないようなものもあれば、撮った記憶すらないものまである。ただ、この写真もそうだが、なんで撮ったかうろ覚えだが「どこか引っかかる」写真てのもある。

 

その何故を解析できればセレクションの眼を上達するのだろうな。

渋谷再開発